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時計評論家 : 並木浩一さん ~腕時計は力強い生を生きるための道具~

文 / 押条良太(押条事務所) Text / Ryota Osujo(Office Osujo) 写真 /中村利和(BOIL) Toshikazu Nakamura(BOIL)

時計の世界に興味はあるけれど、どこからどう入っていけばいいかがわからない――そんな方は、並木浩一さんの著書『腕時計一生もの』(光文社新書)を手にとってみるといい。時計の選び方から歴史、名作の見どころ、鑑賞法、時計を身に着ける意味、時計の世界に確実に導いてくれる。評論家の文章にありがちな難解さは微塵もなく、複雑なパーツの役割や見どころも、じつにわかりやすく解説されていて、どんどん読み進むことができる。時計好きはもちろん、特段興味がない人であっても、教養本として間違いなく楽しめる一冊である。読み終わる頃には、時計という森にかかった濃い霧が晴れ、いきいきとした木々の姿がはっきりと目に見えてくるはずだ。

広汎かつ複雑な時計の世界をわかりやすく解説できる高度な知性。これこそが、並木さんが時計評論家として熱狂的な支持を受ける理由である。

まずは生い立ちに触れておきたい。1961年、横浜に生まれた並木さんは、幼少期に足に大けがを負ったため、家で本を読んで過ごすことが多かったという。

PROFILE

1961年、神奈川県横浜市生まれ。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。ダイヤモンド社で『TVステーション』や『エグゼクティブ』の編集長として活躍後、大同大学で教授として、学習院大学生涯研究センターでは講師として教鞭をとっている。また、腕時計をテーマに、評論家・編集者・記者としても活動する。『腕時計一生もの』(光文社新書)、『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社セオリーブックス)など著書多数。『ウォッチナビ』(学研)、『PEN』(阪急コミュニケーションズ)では連載を執筆中。腕時計を表象文化論の視点で考察するという独自のスタイルには、長年のファンが多い。

家に幼児向けの絵本がなかったため、姉のヨーロッパ世界文学全集を読み漁った。これが本を読む喜びを知ったきっかけである。中学時代は客船マニアに。横浜港に入港する客船を新聞で調べ、学校をさぼって一日中客船を眺めていた。「学校をさぼって、船ばかり見ていました。朝靄の中に浮かび上がったクイーン・エリザベス2の姿は、一生忘れられません。海外の文化の玄関口であった横浜で育ったせいか、子供の頃からヨーロッパへの憧れが強かったと思います」。

気になる時計との出会いは大学生の頃。「大学時代は、ヨーロッパやアメリカの映画をたくさん観ました。その中で、腕時計が象徴的な小道具としてよく使われていて、だんだん興味が芽生えてきたんです。そこで当時、横浜にたくさんあったアンティークショップを巡るようになりました」。

ファーストウォッチはオメガのデビル。「私の憧れた世代は、タバコはケントでウイスキーはオールドパー、時計はオメガと相場が決まっていました。ただ、当時は、クォーツが時計界を席巻していた頃。機械式時計は存続さえ危ぶまれていた時期で、人気もなかったのですが、生来へそ曲がりの私は、あえて機械式時計を買いました。そして人の温もりを感じさせる機械式時計に夢中になったんです」。

時計評論家 : 並木浩一さん

腕時計のほかにも、資格、社会人入試、海外留学、英語で通じる赤ちゃんの名前の付け方、露天風呂付き客室のある宿など、得意ジャンルは多岐にわたる。書斎には、いつか書籍として出版したい原稿が5、6本眠っているという。

大学卒業後は広告系の出版社で住宅雑誌の編集者を経験。その後、映像の制作会社を経て、ダイヤモンド社へ。この時期、時計とは直接関わりのない仕事に携わってはいるが、すでに他社の時計の雑誌に寄稿していたという。「時計の研究はひとりで続けていました。当時はもっぱらフランス語で書かれた資料を読み漁っていましたね」。当時の時計に関する資料のほとんどは、スイスから発信されるため、フランス語が主流だった。その後、英語に翻訳されるため、最新の情報を得るには、フランス語の資料を読むことが必要だったのだ。「私は仏文科出身だったので、好都合でした。研究は帰宅後や休日にしていましたが、苦労したという気持ちはまったくありません。時計は私にとって特別なものなので、自分の中の時計の世界が広がっていくのが、純粋に心地よかったです」。

1995年、人生の転機が訪れる。スイスで開催されるバーゼル ワールド(旧バーゼル・フェア)とジュネーヴ・サロン(S.I.H.H)への取材である。「時計に詳しくて、かつフランス語ができるライターはいないか、と旧知の編集者から声がかかりまして。会社を休んでスイスへ向かいました」。

バーゼル ワールドとは、スイスの小都市、バーゼルで年一回開催される世界最大の時計見本市である。八日間の会期中、全世界の時計関係者やマスコミ、ファンが集結する。展示エリアは約95,000平方メートル。500近い時計ブランドが出展する空前のイベントだ。「会場では、誰もが見たことのない新作が惜しげもなく披露されます。本来は世界のバイヤー向けの商談やプレスへの情報提供が主な目的ですが、一般の入場者にもあけっぴろげに見せてくれます。バーゼルで過ごす時間は、世界のすべての時計ジャーナリズムと肩を並べ、またすべての時計ファンに先んじることができる夢のひとときなんです」。‘95年以降、ジュネーヴで開催されるS.I.H.H.とともに毎年、足を運び、精力的に取材を続けている。

並木さん秘蔵:ミネルバのアンティークウォッチ

並木さんはミネルバのアンティークウォッチのコレクターとしても有名だ。ミネルバは、1858年創業の伝統的なスイスの機械式時計のメーカー。少数の技術者が、昔ながらの伝統的な工具を使用して、ムーブメントまで完全に自社生産していたという伝説的なメーカーである。 現在はモンブランの傘下になっている。今回の取材時には、通常は銀行の貸金庫に保管しているという並木さんの秘蔵のコレクションを持ってきていただいた。手前から『キャリバー49』、『クロノグラフ13-20CH(キャリバー20)』、『ピタゴラス(キャリバー48)』。

この取材経験は、時計評論家・並木浩一誕生の契機ともなった。原稿の依頼も増え続け、次第に業界に名が知れわたっていく。「そのうちに社内からも声がかかりまして。2000年にダイヤモンド社から『腕時計雑学ノート』(笠木恵司氏と共著)を出しました」。

驚くべきは、腕時計の研究を続けながら、本業、つまりダイヤモンド社の編集者としても辣腕を揮っていたという事実である。‘96年には『TVステーション』、‘98年には『エグゼクティブ』の編集長に就任している。編集長みずからがほぼすべての企画を考えていたため、企画会議をほとんどやっていなかったというから驚きだ。「やりたい企画がどんどん湧いてきまして。ちなみにヒットした企画は、『社会人は大学院に行け』でした」。今日では、企業で働きながら大学院へ通うことは当然のことのようになっているが、仕掛け人は並木さんなのだ。

エグゼクティブでは資格の研究を続け、'97年には、『資格の抜け道』(ダイヤモンド社)を出版。資格取得のための知られざる手段についてわかりやすく解説した本は、大きな話題を呼び、自身もカリスマ資格評論家と呼ばれた。

その後、学究心はとどまるところを知らず、自身も大学院へ通い始める。その後、長年勤めたダイヤモンド社を退社。現在は名古屋の大同大学で教授として教鞭をとっている。専門はメディア論、マスコミ論、広報・広告論、表象文化論と幅広い。もちろんその一方で時計をテーマに評論家・編集者・記者としても活躍している。なお、学習院大学生涯学習センターでは、腕時計の歴史と文化、時計作家論を主とする講義を担当している。

ジャンルを超えて広がり続ける仕事だが、やはり「時計は特別な存在」という。「腕時計を、時間を知るための道具と言ってしまえば、それまでのことです。ただ、腕時計には、持ち主の何かしらを表すはたらきが、たしかにある。人間は、腕時計を通じて、自分の生を獲得して生きようとしているのかもしれません」。

並木さんは腕時計のある生活をよく「ドライブ」にたとえる。「愉しみのために車を運転している人間は、決して車に運搬されているわけではありません。目的のないドライブは、感情や感覚をリラックスさせるもののはず。気に入った腕時計を身に着けることも同じことがいえます。そういう意味では、腕時計は、自己 肯定的な、力強い生を生きるための道具ともいえるでしょう」。

評論家・研究者としての信条は、「手間とお金を惜しまない」である。一冊の本を書く際は、資料として段ボール4~5個くらいの書籍を購入し、目を通す。

並木さん秘蔵:ミネルバのスピードウォッチ

ミネルバは精巧なスピードウォッチの生産でも名を馳せた。右上は8~35㎜の映画フィルムの撮影秒数を計測できる『フォルモグラフィィ』。右下のモデルは1秒間で針が1回転し、100分の1鋲が計測できるもの。ギネスブックに登録されている。左下は『ラリータイマー』。その名の通り、自動車競技のために開発されたもので、12時間積算計が搭載されている。

不明点があれば、些細なことであっても、国会図書館に足を運んで調べ、コピーを集める。「手間をかけて得た知識ほど頭に残りますし、いずれ必ず役に立つものなんです。それに書籍や資料に投資すれば、必ず自分に戻ってきますから。心に引っかかったものは、とにかく買っておくことが重要です」。膨大かつ正確な知識は、妥協を許さない情報収集から生み出される。

ちなみに『夢のハワイ暮らしが実現できる本』(ダイヤモンド社)というハワイ暮らしのノウハウを解説した著作も出版しているが、もともとハワイに通うようになったきっかけは、書店に資料を買いに行くためだったというから驚きだ。

「本を買うために、ハワイのボーダーズという書店に行っていたんです。ハワイは日本からもっとも近いアメリカですから。通ううちにハワイの魅力にはまって、本を出したんですよ」。

並木さんの時計の話に耳を傾けていると、ぐいぐい話の中に引き込まれる。理由は明快だ。並木さんの時計の解説は、単なるメカニズムの説明にとどまらず、時計と人にまつわる“物語”になっているからである。目に見えないほどのパーツに込められた職人のあくなきこだわりや作家がデザインに託したロマンチックなストーリー。並木さんは、腕時計というプロダクツを通して、人間のもつ技術の素晴らしさや、美しいものを身に着け、鑑賞できる幸福を語ることができるのだ。

並木浩一さんの時計の評論をひと言で言うなら、人間賛歌、この言葉がもっともふさわしいかもしれない。

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